大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和59年(あ)1582号 判決 1985年3月07日

本籍

名古屋市南区蒲田町一丁目四番地

住居

同 南区宝生町二丁目一番地 宝生荘八棟七〇四号室

溶接工

鵜飼忠雄

昭和一四年一一月六日生

右の者に対する道路交通法違反被告事件について、昭和五九年一一月一三日名古屋高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人三宅信幸の上告趣意のうち、憲法三六条違反をいう点は、道路交通法一一八条一項一号の規定をもつて、憲法三六条にいわゆる残虐な刑罰を定めたものといえないことは、当裁判所の判例(昭和二二年(れ)第三二三号同二三年六月二三日大法廷判決・刑集二巻七号七七七頁)の趣旨に徴し、明らかであるから、所論は理由がなく、その余は、量刑不当の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 角田禮次郎 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一 裁判官 矢口洪一 裁判官 髙島益郎)

被告人 鵜飼忠雄

弁護人三宅信幸の上告趣意(昭和六〇年一月一二日)

第一点

一、原判決には憲法違反があり、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されねばならない。

道路交通法第一一八条第一項第一号は同法第六四条(無免許運転)に該当する行為をした者に対し、六月以下の懲役、又は五万円以下の罰金に処する旨定めるが、同規定のうち、懲役刑を定めた規定は憲法第三六条に違反し、右規定によつて審理判決した原審の訴訟手続もまた憲法に違反すると考える。

二、道路交通法は、道路における危険を防止し、道路交通の安全を図る目的で制定された法律であり、同法は右目的を達成する罰則規定が設けられている。従つて、同法違反の犯罪は本質的には行政犯であり、人間の誠実や憐びんといつた本来的感情に反し、それ自体が社会倫理規範に反する刑事犯とは厳に区別されねばならない。そして、行政犯・刑事犯の区別はその刑罰にも反映される。刑事犯については、社会倫理規範を習得させるべく、自由を剥奪した上で規則正しい労働習慣を身に付けさせ、改善・更生を計り社会復帰させるという刑罰の目的が妥当し、その目的からすれば、その刑罰は懲役刑・禁錮刑という自由刑であるべきであろう。しかし、行政犯については、自由刑は犯罪者の改善・更生には不適切であるばかりか、かえつて、自尊心を喪失させ、社会生活への自信を失わしめる結果となつている。今日「監獄破産論」が唱えられ、従来の自由刑が犯罪者の改善・更生に障害にこそなれ、およそその目的を果していないことが統計上も明らかにされていること、また、刑罰の目的がいたらずに犯罪者に苦役を強いることではなく、犯罪者を改善・更生するものであるとの認識が一般化していることを併せ考えれば、行政犯につき自由刑を課すことは、刑罰本来の目的から離れ、いたずらに社会的脱落者を創りだすことになり特別の場合を除き許されるべきではないと考える。本件のような無免許運転についても、交通安全対策強化の必要性が叫ばれる時世ではあるが、このため、懲役刑をもつて取り締まることは厳罰主義に偏していると言わざるを得ない。無免許運転という形式犯に対しては罰金刑の効果的適用で十分対処しうるものであり、これに対しさらに懲役刑までも課すことはその限度で憲法第三六条の「残虐な刑罰」に該当すると考える。

三、従つて、道路交通法第一一八条第一項一号が無免許運転者に対し、六カ月以下の懲役又は五万円以下の罰金に処すると規定されているが、同規定は懲役刑を課した限度においては残虐な刑罰を定めたものとして憲法違反と言わざるを得ず、同様に同規定に基づき被告人に懲役刑を言い渡した原判決の手続も憲法違反と言わざるを得ない。

第二点

一、原判決の刑の量刑は甚しく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると考える。

二、被告人は、これまで何回か無免許運転を繰り返したため、道路交通法違反により起訴されたことがあり、今回も第一審裁判所において執行猶予付懲役刑という判決をうけるも、その判決後も何回か無免許運転をしたため、原審裁判所においては実刑判決を言い渡された。しかし、右実刑判決は以下の二点において著しく不当であり、正義に反すると言わねばならない。

まず、第一点として被告人の改悛の情が顕著であり、また、被告人の家庭事情を考慮すれば実刑判決は妥当でない。裁判所が被告人に対し、実刑判決を課すに当つては慎重であらねばならないことは当然であり、特に行政犯に対し実刑判決を課すに際しては犯罪の悪質性や判決時の被告人の改悛の表れ、被告人の家庭環境に対し十分配慮すべきであり、その上でも実刑判決がやむ得ないと判断される場合にはじめて言い渡されるべきである。本件のケースにおいて、被告人は確かに交通法規に対する遵法精神が欠如していたことは否めない。被告人は無免許運転で刑務所へ入ることはないとタカをくくつていたところがあり、そのため、第一審裁判所において執行猶予付懲役刑という温情判決をいただいたその後も何度か無免許運転をしていることはその表れと言えよう。

しかし、被告人も検察官控訴がなされ、新たな捜査が行われるに至つて、事の重大さを自覚し、自己のこれまでの軽率さを深く反省するに至つたものである。その表れとして、それまで所持していた自動車も処分したし、苦しい生活費のなかから金一〇万円を関係福祉機関へ寄進している。一旦、罪の深さを自覚し、改悛した者に対し、敢えて実刑判決を下すことはその精神において正義に反するものと言わざるを得ない。

また、妻小夜子は現在気管支喘息を煩つており稼動できない状態であり、もし、被告人が服役することにでもなれば、被告人の家庭生活は破壊されることは想像に難くない。このように、犯罪者の家庭にまで経済的不利益をもたらせば、それは自由刑の他、前近代的な家族刑を課すことに等しくなり許されるべきではないと考える。

次に第二点として、原審が執行猶予判決を破棄し、実刑判決を言い渡した大きな要素として、被告人が第一審判決後も無免許運転した事実が挙げられる。原審をみれば、第一審後、検察官が被告人の周辺を捜査しているが、このように狙い打ち的に特定の無免許運転者につき、強大な権力を有する機関により異例の捜査がなされている。捜査自体の合法性は無論問題ないのであるが、被告人に限つてこのような異例の捜査がなされ、そのため、被告人に不利な影響を及ぼす事実が明らかにされ、実刑判決の大きな根拠となつたということに対し、公平の観点からすれば合点のいかないという感情を禁じ得ない。

結局、原審の実刑判決は甚しく不当・不公平であり、正義・公平の観点からみても破棄されねばならないと言わざるを得ない。

以上

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